れぽてんの雑感

夏川椎菜さんと上田麗奈さんと小原好美さんのオタクで美也・エミリーPです

春香P、ブレない軸、プロデューサーとして

 先日、Twitterで「天海春香論」というスペースが開かれていた。スタントン氏(@stantonharuka)とミワのいぢ氏(@miwanoiz)という、私が把握している限りでは、天海春香P界隈でかなりの影響力を持つお二方の対談という形式だった。淡々と進んでいながら、それでいて言葉の一つひとつに確かな熱を感じる話しぶりに、「この方たちは本当に天海春香が好きで、深く彼女のことを理解しているのだな」ということを強く思った。

 

 その中で、確かミワのいぢさんだったかと記憶しているが、公式が提示してくる天海春香に対する見解として、次のような言葉を述べていた。

 

これまで公式が裏切ってきたことはあるけど、天海春香に裏切られたことは一度もないんですよね。

 

一言一句正確ではないだろうが、発言の骨子はこのようなものだった。私は今も、この言葉が強く、強く印象に残っている。思い出したのは、今年1月に実装された宮尾美也の新衣装コミュだ。

 

 

私は、あのコミュの内容を絶対に認めないためにこの記事を書いた。私が見てきた「宮尾美也像」からは到底理解できないものだったからだ。私の結論は「あのコミュは何かの間違いです」というもので、今もその考え方は変わっていない(ちなみにあれから一度もあのコミュは見返していない)。

 

 私のこれが、氏の経験してきたものと必ずしも一致するわけではないだろう。それでも、なんとなく、16年という歴史を持つ「天海春香」とその担当プロデューサーは、こういったものと常に戦ってきて、それでいてなお「私は天海春香のプロデューサーだ。これが天海春香だ」と、胸を張って、己の信を貫き続けてきたのだろうと、そんなことを思った。

 

 私は今、美也Pとして自分がどう振る舞うべきか、方向性を見失っている。何をすればいいのか、何ができるのか、何をしたいのか。それでも、春香Pが抱えてきたものに比べたら、あまりにも小さく大したことのないものなのだろう、と思う。プロデューサーの数だけ担当アイドルの姿があり、一つとして同じものはない。私も、ブレない私だけの「宮尾美也論」を築いていけるよう、自分に何ができるかを考えながら、日々を重ねていきたい。