れぽてんの雑感

夏川椎菜さんと上田麗奈さんと小原好美さんのオタクで美也・エミリーPです

【ネタバレ有】美也Pが読んだ『桃と蝶々』【天海春香学会誌Vol.3】

 宮尾美也を、こんなにも愛情を持って描いてくれて、ありがとう。あなたが描く10年後の彼女はとても美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 先日ついに、我が家に『天海春香学会誌Vol.3』が届いた。どれだけ楽しみにしていたことか。もちろん、掲載作品すべてに大きな期待を持っているのだが、私が特に心待ちにしていた作品がある。

 

 

 これが発表された時、もうすでに私の情緒は大変なことになっていた。“あの”フブキさん(『天海春香学会誌Vol.2』を読んでほしい)が宮尾美也を描く。しかも10年後の。題材は初恋バタフライ(=メインコミュ85話)である。発狂するなと言う方が無理ではないだろうか。なぜ“天海春香”学会誌で美也Pを刺しにくるのか、本当に意味が分からない(ありがとうございます)。


 そんな私の、『桃と蝶々』読了後の正直な感想。フブキさんが描かれる天海春香に、強い一貫性を感じた。それはVol.2『理想を瓶詰め』から地続きの、ということである。おそらく、フブキさんの中には確固たる「天海春香像」があるのだと思う。私が感じ取ったのは「自然体」と「底が見えない怖さ」である。桃と蝶々から少し、引用したい。

 

プロデューサーと恋人になりましたと言えば祝ってもらえるだろうし、ダメでしたと言えば慰めてくれることだろう。(p.188)

 

 天海春香にとっての「自然」とはすなわち、天海春香でい続けることである。それは多分、自分自身が今そうである、そして未来に求めている「天海春香」であると同時に、ファンや他の人が見る「天海春香」だ。天海春香を見るその人(今回は美也ということになろう)が「自然」と思えば、天海春香は自然体なのだ。桃と蝶々で美也は、春香であれば、自分の告白の結果がどうであれ変わらずにいてくれると、ある種の信頼を寄せている。すなわちそれがこの作品で描かれている天海春香の自然体である。年齢を重ねても変わらない「天海春香らしさ」を、フブキさんは「自然体」だと捉えているのだろう。

 

結果がどうなろうとも、聞き出すつもりもなさそうだ。興味が無いわけではないのに、恐ろしいほどの自制心が、彼女の中で働いている。(p.187)

 

 天海春香の魅力の一つにあるのが「どこまでいっても理解した気になれないところ」である。そう、「天海春香は分からない」のである。だからこそ知りたくなるし、さまざまな角度から彼女を掘り下げようと、誕生から15年以上が経っても、愛され続けているのだろうと思う。

 と同時に、この「底の見えなさ」が私にはとても恐ろしい。「畏怖」などではなく「恐怖」だ。分からない相手は怖い。空恐ろしい。そしてこれは、理想を瓶詰めでも描かれていた。とすれば、やはりこれもフブキさんが見ている「天海春香」なのではないだろうか。

 余談にはなるが、この底の見えなさは紛れもなく、私がTHE@TER CHALLENGEイベントで春香P陣営から感じた感情そのものである。何をやっても追いつけない。絶望にも似た感情。やはりPというのは担当アイドルに似るのだろうか。

 

 もう一つ。この作品のキーアイテムは、タイトルにもなっている「桃」である。桃というのは、熟れれば熟れるほどおいしい。しかし、例えばどこかにぶつけたりなど、少し衝撃を与えただけでそこから腐っていく。丁寧に、丁寧に扱わなければ、すぐにダメになるのだ。著者はこれを、天海春香に重ねている。

 

美しくて瑞々しい、果実のような恋が、天海春香の中で育ち、熟れて、ただ収穫を待っている。(p.188)

 

ここは、先の「自然体」にも関わってくる箇所である。17歳の天海春香と27歳の天海春香は地続きで、そして27歳の彼女の中に17歳の彼女は存在し続けている。誰からも、どこからも衝撃を受けることなく、腐らずに、きれいなままでい続けているのだ。

 

 美也の目に、そんな春香はどう映っただろうか。私には、美也が彼女を羨ましがっているように思えた。

 

けれど、同じ道を辿ってきたはずの春香は、大人の女性として成長しながらも、少女のような初々しさを今でも保ち続けている。(p.188)

 

美也の初恋は「10年後」に答えが返ってくることが必ず決まっているものだ。つまり、この作品の「今」から少し先の未来(すなわち美也の告白)をもって、彼女の初恋はどんな形であれ、終わりを告げる。その瞬間、決定的に何かが変わる。それがプロデューサーと恋仲になるという形なのか、あるいは断られるのか、はたまた別の何かなのか、私には分からない。きっと、この作品で描かれている美也にも、春香にも分からないだろう。ともあれ、美也はたとえ、17歳の時の自分を(つまり初々しさを)春香のように保ち続けなくとも、「初恋」に期限が決まっているのだ。それを著者は「区切り」と表現し、春香を「桃」に重ねることで、春香の内にあるもの、そしてそれを捉えようとする美也の心情を描き出している。

 

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 桃と蝶々は、初恋バタフライという曲へのアンサーでもなければ、メインコミュ85話「とおくとおくたかく」に対する答えでもない。ただひたすらに、そこで描かれた春香と美也の地続きの10年後を、非常に冷静に、鋭く描写した名作だ。天海春香の実像を描き出すのに、とても大きな功績を果たしていると言い切れる。この作品が『天海春香学会誌』に掲載されている価値は計り知れない。

 

 そして最後に、著者へ心からの感謝を。たった一文、たった一単語の選び方にも、美也への愛を感じた。美也のことを、ここまで愛情を持って、そして「正しく」描いてくれて、ありがとう。あなたの担当アイドルである春香と同じように大切にしてくれて、ありがとう。あなたの作品は確かに、私という美也Pの心に刺さったよ。

 

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彼女たちは10年後、一連のエピソードをなんと話すのだろう